さて驚くほどのマイペースで進む旅日記。
ようやくチェスキー・クロムロフに到着である。
普通の日常生活にもまれているときにふと、「あのときのあの旅はよかったよな〜」なんて思い出すときがあるでしょう。ない?ちなみに私はしょっちゅう・・・。
そんな感じで読んでいただければ幸いである。うーん、この調子で行くといつになったらイスタンブールにたどり着くんだ・・・。
さてチェスキー・クロムロフ。
小さな小さな世界遺産の街。
その街は何もない田舎道をバスで行くと突如現れる。

お城を見学し、川沿いのレストランでチェコビール(とてもおいしい)、そして街をぶらぶらする。半日あれば一周できてしまう。

中世ヨーロッパの風景がそっくり保存されたこの街は、まさに子供の頃絵本や童話で見たイメージそのものなのだった。
つまり王様がいてお姫様と王子さまがいて羊飼いがいたりする世界である。
そんな風景がリアルに目の前にあるというのは何とも言えず不思議な体験であった。

私はこの街で
エゴン・シーレという画家を知った。
エゴン・シーレはウィーンの画家なのだが、母親の故郷であるチェスキー・クロムロフ
を第二の故郷として愛していたそうである。
古いビール醸造所を改築した建物が現在
エゴン・シーレ文化センターとして公開されている。
28歳で死んでしまった画家が残した絵は、ひりひりするような鮮烈な印象だった。
シーレが描く人はどれも、拒食症のようにやせた体で、鋭い視線をこちらに投げかけてくる。
若いときのどうしようもなさ、を思う。
ナルシシズムとか、体と精神のアンバランスとか。
私自身を振り返れば、カート・コバーンがアイドルだったあの頃だとか。
30歳になる前に、人は「本当に大人になるのか、ならないのか」を選択するようにできているのだろうか。

いつか大人になって成熟した何かを愛するようになっても、シーレのようなまっすぐすぎる視線はいつまでも忘れたくない。
それは人間の普遍的な願いであって、今でもエゴン・シーレの絵が愛されている理由だろう。
大人であることをしばし休んで、まるで学生のようにバックパッカーとなってしまった私には、シーレの絵は深く心に刻まれるものだった。
そして、中世の香り残るこの街と、「永遠の子供」といわれたエゴン・シーレの絵はとても似合っている様に思った。

そんな感傷もありつつ。
チェスキー・クロムロフは何と言ってものんきな田舎の観光地であって、犬を連れたチェコ人ファミリーが川遊びしていたりする平和な街でありました。
# by awesometime | 2009-02-16 04:48 |
旅

旅は続きます。
2009年は地平線からはじまります。
すべてのテレビ番組の中で一番好きなのは、何をかくそう
「世界の車窓から」なのだ。
毎日5分くらい旅に出た気分になれるあの番組はすてきだ。ナレーションもすてきだし音楽もすてきだ。
世界中の電車に乗る、というシンプルなコンセプトがすばらしい。
というわけでヨーロッパの電車に乗る、というそれだけで夢が叶った気分になってしまった私である。

最初に乗った電車はプラハ→チェスキーブディェヨヴィツェ間。
ユーレイルパスなどを持っていなかったので、無事自分は切符を買えるのだろうか、とそのあたりからドキドキであったが、なんとかなるものである。
そして、何度も切符を買って電車に乗るたびにちょっとした自信につながってくるのが不思議だ。
旅で得るものといえばこの「なんとかなる」といういい加減かつ強い信念かもしれない。

自転車持参であったり、犬連れであったり、私のようにバックパックを背負っていたり、車内にはいろいろなタイプの旅人が乗っている。
なにはともあれ旅気分は盛り上がってしまう。

同じコンパートメントに途中から労働者風のおじさんが乗ってきて、えらく警察の人に尋問されていた。IDを見せなさいとか、どこかに電話したりとか、そのおじさんも「おれが何したって言うんだ!」と切れそうである。
一通り調べて怪しいものではないとわかった後、警察のおじさんは私にむかって笑顔になった。
「日本人か〜!チェコ語はわかるのか?トウキョウ、チバ、アラカワヨーコ!」といって握手をもとめてきた。が、親指がない!
「世界の車窓から」ではおそらく放映されない場面にも出くわすのである。しかしアラカワヨーコって誰なんだ。

プラハを離れると延々とつづく空っぽの風景。
俵型の藁がとてもかわいい。何枚も写真を撮ってしまった。
「なんにもない風景」に恋いこがれる気持ちってわかるだろうか。
ぼうーっと車窓からの風景をながめていると、自分の中身が入れ替わって浄化されるような感じがする。
時々そんな風景と、そんな時間がとてつもなく必要になってしまう。
都市生活者の悲哀のようなロマンである。
都会の人は田舎に行きたいと思い、田舎の人は都会に出たいと思い、人間は無い物ねだりの生き物なのだ。
延々と続く地平線を眺めながら、こんなことが頭に浮かぶなら達人であろう。
大好きな長新太さんの絵本、
ちへいせんのみえるところ
チョーさんの絵本にはくりかえしくりかえし地平線が描かれているけれど、一本線が引いてあるだけでたくさんのことを語っているようですごいのだ。
そう、そしてそんな感傷的な気分でページをめくるといろいろびっくりすることが待っているのでご注意を。表紙でだまされてしまいますが、中身は手抜かりなしのナンセンス。
はまる人ははまってしまうチョーさんワールド!癖になります。

とりとめもなくつらつらといろんなことを思いながら。
さて、向かうのはチェスキー・クロムロフという世界遺産の町なのです。
# by awesometime | 2009-01-11 04:16 |
旅
ミラン・クンデラの
存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
を読んでいるのである。
チェコと言う国に興味を持ったおかげで、本当に面白い小説に出会えた。
そう思えるとても読み応えのある本である。
登場人物それぞれの目線、時間軸が行ったり来たりしながら、そこにあったひとつの事実を複数の方向から描き出していく。
ちょうどプラハの旧市街、入り組んだ路地を行ったり来たりする感じとよく似ていて、あの場所で感じていたことをふと思い出したりするのである。

チェコに行ったからと言ってその国のことが解る訳ではない。
旅人は通りすぎてしまうだけの人である。
その街の空気を吸い込んで肌で感じた何かを記憶にとどめるだけである。

美しい中心街と、ちょっとそこからはずれるといきなりさびれるあの感じ。
決して愛想がいいとは言いがたいチェコの人々。
プラハの街では「表と裏」という言葉がよく頭をよぎっていた。
ハリボテのような美しさとどことなく漂う閉塞感は旧共産圏独特のものなのだろうかと思っていたけれど、クンデラの小説を読み進めるにつれて、感じたことのその訳が紐解かれるような感じがするのである。

チェコで生まれた文学や芸術からは、人間の普遍的な幸せ—それは人々の小さな生活の中にしかあり得ないのだということを考えさせられる。
歴史に翻弄された国ゆえの説得力だろうか。
小説にはテレザという女性がでてくるのだが、私がプラハで感じた街の空気と、彼女の気質がついだぶってしまう。
小説の最初の方では堅苦しく感じてしまう彼女の性格も、読み進めるうちにその生真面目さがだんだん愛しく思えてくる。
もうページもあとわずかなのだが、私はもうちょっと彼女のかたくなな感じにつきあっていたくて、読み終わるのを惜しんでしまう。年内いっぱいはだらだらひっぱっておこうかなあ。
それにしても邦題「存在の耐えられない軽さ」名訳だと思う!
人生が軽いものなら自由であろうか、むなしいだろうか。
人生が重いものなら価値があるだろうか、疲れてしまうだろうか。
重さと軽さ。
人間の深淵を覗き込むようなこの問いに、しばし思いを巡らせてみる。
答えのない問いに寄り沿う時間。
今の自分を鏡のように映す小説かもしれない。
また何年かしてから読み返したら、きっと違うことを思うのだろうなあ。

ゆっくり、じっくり味わえる小説です。
# by awesometime | 2008-12-24 04:38 |
旅
<ヤン・ソウデック ギャラリー>
Jan Saudekのギャラリーは、非常に人通りの多い旧市街広場のそばにある。ギャラリーというのはロケーション自体がなにか表現していたりして、そこに行くまでも面白い。

あまり赴きあるギャラリーではなくて、どちらかというと観光客向けの展示即売会のような感じであった。
しかし、雑居ビルの一室、扉を開けるとそこにはデカダンな美の世界が広がってなんともシュールである。
モノクロに着色した独特の作風。エロテックともグロテスクとも表現される世界観であるが、どこか少年の日のノスタルジーのようなものが感じられて、そこが私は好きだと思った。
しかしとにかく作品から溢れるパワーがすごい。世の中の常識と言う名のカーテンで仕切られた向こう側の世界。負のものを肯定するパワー。人間とはこんなにも猥雑で滑稽で美しいのだ、という力強いメッセージを感じる。
かなり好き嫌いは分かれる作風ではあるが、廃退的でありながらどこかあっけらかんとしてユーモアがあり面白い。

そして、作品もさることながら、彼自身の物語もかなり波瀾万丈であるようだ。
30歳以上年下の現在の奥さんはサラ・ソウデックさんという写真家で、彼女はヤンとの結婚生活を続けながら、彼の息子サムエルさんとの間に子供がいるそうな。
んん?わかりましたか?
サラさんは、芸術家の妻であることと、母になること両方の夢を叶えたということなのだろうか。なんともパワフルな女性である。
そんな二人の関係にチェコ市民は「まあ当人同士納得していたらいいんじゃないか」とおおむね肯定的な反応であるということで、なんというか面白い国である。
愛の形は様々である。複雑な関係はそのまま作品の中にも登場していて美しい。

昨年は
男女218人のヌード写真の撮影で話題になったようで、現在73歳、ヤン・ソウデックさん、チェコのお騒がせおじさんであることは間違いない。
さてさて、紹介している作家の写真集など集めたページを作ってみました。
チェコは面白い国なので私もこれから知識を深めて行きたい。
今後より充実させてゆく予定ですので興味を持たれた方はぜひご覧下さい〜!↓
大人のためのファンタジー特集
# by awesometime | 2008-12-03 04:15 |
旅
チェコに行くにあたって調べたことと言えば「プラハに写真のギャラリーはあるのだろうか」ということであった。
東京にいても、小さなギャラリーに行くのが私は好きである。
できれば若手の作品が見られる所に行ってみたかった。
ネットで調べた限りではそういう写真専門のギャラリーは探せなかった(あっても数年前に閉館していたりとか)。チェコ語がわからないので探せる情報にも限りがあり、実際の所はわからなかったけど。
しかし、チェコの写真家の存在を何人か知ることが出来た。その作品に触れられる場所も何カ所かあるようである。
そして写真に限らずチェコのアートというのはどこか奇妙で摩訶不思議なのであった。
今回はプラハのちいさなギャラリー訪問記です。

<GAMBRAギャラリー>
「アリス」などの映像作品で有名なシュールレアリスト
ヤン・シュバンクマイエルの自宅兼ギャラリーである。

ここは熱心なファンの間では有名で聖地のような場所であるようなので、なんとなくふらっと行ってしまった私が紹介するのもなんなのですが、なんともいえない不思議体験であったのは間違いない。
中ではおばあさんがひとり読書をしながら店番している。
「ドブリーデン」とあいさつして中に入る。
「ドブリーデン」本から顔を上げないながらも暖かい対応。
「写真を撮っても良いですか?」
一瞬顔を上げて
「オーケーオーケー、ノープロブレム。」
そしてまた彼女は個人的な読書の時間へと戻って行った。
こういう摩訶不思議な作品に囲まれて過ごす人生というのはどういうものなんだろうかとふと思う。
ちなみに、ここはプラハ城よりもっと先のちょっとわかりにくい場所にあるため、辿り着くまですこし苦労します。
GAMBRA Surrealisticka galerie
Cerninska 5, Praha 1
12:00-18:00<
ヨゼフ・スデック ギャラリー>
チェコを代表する写真家
ヨゼフ・スデックの自宅であった場所。
先ほどのGAMBRAギャラリーのほど近く。シュールレアリストと写真家はご近所同士であったようだ。

私が行ったときはKarel Maria Chotekという人の展示をやっていた。
チェコの昔の農村風景などの古い写真。セピア色に変色した写真の、ふわっとひろがる光に胸をつかれるような想いがした。
写真というのは時間が経過すればするほど意味を持つのかもしれない。
何十年も前のある日にふと目を向けられた一瞬の光景。それが時をこえて、何の偶然かプラハを訪れた日本人の私が目にすることになって、一瞬その想いが伝わるようなことがある。
写真というのは、なんてロマンチックな可能性を秘めているんだろう。
ヨゼフ・スデックという写真家のかつての家で私はとても大事なことを教わったような気がした。
私は、写真が持つこういう素朴な力を信じていたい。
ここはギャラリー自体の雰囲気もすばらしいし、行くことが出来て良かった!と思った場所No.1です。
Galerie Josefa Sudka
Úvoz 24
110 00 Praha 1
T) +420 257 531 489さて長くなったのでつづきはまた次回。
# by awesometime | 2008-11-21 04:00 |
旅